マクロン大統領のスーツ

フランスのレギュラーTV番組は、9月の新年度まで2カ月のお休み。
6月、7月は、Yahoo!Franceニュースが頼りです。

(Yahoo!Franceニュースから)
大統領就任式の5月14日に、マクロン大統領の報道官がSNSに次のような投稿をした。
“大統領は今後、パリのアブキール通りにある「Jonas et Cie」のスーツを着用します。一着およそ450ユーロです。”
« Le président sera habillé d'un costume de chez Jonas et Cie, magasin situé rue d'Aboukir à Paris. Le coût d'un costume est d'environ 450 euros. »
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銀行マンの高級なスーツを捨て、より普通の価格帯スーツへの移行を国民に示そうということらしい。
以来、パリのJonas et Cieには、大勢のお客が押し寄せ、2カ月で25%増の売上だそうである。
パリ観光のアジア人や地方の人は、今までJonas et Cieの客層ではなかったが、マクロン大統領が着ているようなスーツを買おうと来店するようになったという。
« Notre clientèle s'est élargie aux touristes asiatiques et aux provinciaux qui font le voyage jusqu'à Paris pour s'offrir un costume semblable à ceux de Macron »

マクロン大統領の一番最近の注文は、トランプ大統領とエッフェル塔で夕食する時のためにスーツをだったそうである。

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# by yamabato_za | 2017-07-20 22:16 | Yahoo!Franceニュース | Trackback | Comments(0)

目黒雅叙園と太宰治

藤森照信の『建築探偵雨天決行』に目黒雅叙園が載っていた。
目黒雅叙園と言えば、太宰治の短篇『佳日』で結婚式が行われる料理店であり、また、「四つの結婚」(1944年/東宝)というタイトルで映画化された時にもそこでロケが行われたとどこかで読んだような気がする。
原作では三姉妹のところを、映画では四姉妹に脚色され、長女・入江たか子、次女・山田五十鈴、三女・山根寿子、四女・高峰秀子という豪華キャスト。
入江たか子の姉が目黒雅叙園の関係者(細川力蔵の妻)だったのでロケができたと、これも以前調べた時にどこかで読んだように記憶している(出典が不明なので確証はない)。
ちなみに、入江たか子姉妹の父は東坊城徳長という子爵だとか。

↓昔の目黒雅叙園(ホテル雅叙園サイトより)

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そんなこんなで、どうも気になる目黒雅叙園。
藤森照信の『建築探偵雨天決行』によると、
創始者は明治22年石川県の寒村生まれの細川力蔵。
小学校卒業後、東京・神田の銭湯に奉公に出る。
当時、東京の銭湯界は、新潟・富山・石川の北陸三県出身者に牛耳られていたという。
大正の初め独立、芝に自分の銭湯を持つ。
そのかたわら、コークス製造業、不動産業も手がけ一財産を築く。
そして、芝浦に豪壮な邸宅を建て、その後、改築して料亭兼旅館にしたという。これが大正9年開業の初代雅叙園。
関東大震災後、目黒の現在地に移り、昭和6年オープン。
日本初の総合結婚式場システムを打ち出し大当たりした。

藤森照信氏の関心は、目黒雅叙園の、日光東照宮と遊郭建築を合わせたような派手な空間がどうして生まれたかに注がれるのだが、私は入江たか子や太宰治の方向に惹かれてしまい、以前も読んだような気がする『佳日』を再読。
やはり1回読んでいたが、実に面白くいいお話でびっくりする。
随所に笑いの要素が散らばっていて、最後に感動させられる。

←『佳日』収録
『佳日』についてのウィキペディアによると、
昭和18年4月29日、太宰の友人の塩月赳(しおつき たけし)の結婚式が目黒雅叙園で行われた。太宰は身内代わりとなって結納を納め、式の打ち合わせを行うなど塩月のために種々尽力した。「佳日」はこのときの体験を素材にして書かれた、といい、
また、山岸外史は次のように記しているという。
「この作品は、ほとんどが事実そのまゝの作品で、人物もよくつかまれており、正確にえがかれている。(中略) 大隅忠太郎というのは、本名はSという男で、僕たちに共通の友人だから、彼の頭の禿げかゝつていることや、言動まで、じつに巧妙に正確に写しだされていることがわかるのである。瀬川教授は、多少、脚色されているが、これは、井伏鱒二氏である。」

←『佳日』収録
しかしながら、太宰本人はあまり気に入っていなかったかもしれない。
なぜならば、『愛と苦悩の手紙』昭和19年8月29日堤重久あてのハガキに、
「『佳日』という短編集が出た。つまらぬ。」とあるのだ。
短編集『佳日』には、他の短編も収められているし、これだけでは何がつまらないのかは不明ではあるが。
ちなみに、「つまらぬ」と書いた直前に「きょうは、これから目黒へ支那料理を食いに行くつもり。もちろんひとりで。河上徹さんが、ごちそうしてくれることになっている。」とあり、この目黒の支那料理店は目黒雅叙園でしょ!と思うのだが。。。


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# by yamabato_za | 2017-07-04 19:02 | 図書室 | Trackback | Comments(0)

宮沢賢治から白つめくさ

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本棚に眠っている文庫本整理。
宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』(角川文庫)の巻。
童話は苦手だが、「やまなし」「猫の事務所」「グスコーブドリの伝記」「ありときのこ」などはなかなか面白く読めた。(よって、本棚もどり)

巻末の解説に、宮沢賢治が生前に出版した童話集は『注文の多い料理店』だけだったとあり驚いた。
そして、「注文の多い料理店」は、どんなお話だったろうと気になり、図書館から新潮文庫版を借りてきた。

注文の多い料理店』(新潮文庫)には、美しかったり面白かったりの自然描写があり、変わったキャラクターの人間や動物が出てきて、楽しめなくもないのだが、ファンタジーなので、私にはどうも、やはり、読みにくい。

しかし、この文庫巻末にある井上ひさしの解説がよかった!
「つめくさの道しるべ」と題されていて、賢治作品についての解説というよりも、つめくさ賛である。
以下、抜粋引用:

“私はこの一冊の、どの一篇を読んでも、たちまち胸に透明な懐かしさが溢れてほとんど涙がこぼれそうになる。それはたぶん賢治の作品が一つの例外もなく、あのつめくさ(クローバー)の匂いを立ちのぼらせているからだろう。”

“つめくさはマメ科の多年草でずいぶん根が長い。平均一米(メートル)、東西南北右左へ互いに根を伸ばし合う。そこで土崩れを抑える。鹿爪らしく言えば、土壌の保全に役立つ。・・・・・しかも馬や牛の好物で、夏、長い花柄に可憐な白い花を球形に密集させて人の心を和ませ、そればかりか、たいてい葉っぱは三枚だが、ときに四つ葉をまぜて、それを摘むものを幸福な気分にひたらせるなど、麻薬の代役さえつとめるのだから、、たいしたものだ。”
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“ヨーロッパ原産のこの草が、どうやって日本へ辿り着いたのかについては、健気な秘話がある。江戸期も終りに近い弘化三年(一八四六)、はるばるオランダから将軍に贈物が届けられた。その贈物はガラス製の花瓶であったが、そのとき梱包材としてこの草を乾燥したものが詰められていた。その中の種子が芽を出して広まったのが始まりで、「詰草」の名もここに由来する。”

“もう一つ大切なことを忘れていた。つめくさはマメ科、したがって空中の窒素を取り込む能力がある上、根が深いので土の深層にある養分を吸い上げる。そうなのだ。つめくさは緑肥としても抜群なのである。さらに栽培が簡単なのに生草収量が多い。”

“花巻の農学校の教師であった賢治は、言うも愚かなことではあるがつめくさのすばらしさをじつによく知っていた。知っていたばかりではなく、このイーハトーボ人は他の県の人たちよりもよほどつめくさを愛していたにちがいない。というのも岩手県がひどく貧しく、たとえば昭和二十三年までずうっと、コメを他県から手に入れなければならないほどだったからである。・・・・・東北では青森と並ぶ貧乏県だった。明治初年、中央の勧業寮は北海道と岩手には特に熱心につめくさの播種を勧めたが、これには次のような意味がこめられていた。「コメだけでは暮しが立ち行くまい。牧草をつくって馬だの牛だのを育てなさい」
こうしてつめくさは、岩手を日本有数の軍馬の産地に仕立て上げていく。いってみれば、このつめくさに岩手の人びとは希望の光を見ていたのであった。”
(上のシロツメクサの画像は『小学館の図鑑NEO植物』より)

もうだいぶ前から、白つめくさを見ていないように思う。
どこにいってしまったのかしらん。。。。

角川文庫にも『注文の多い料理店』がある。こちらにはどうも当時の挿絵が載っているらしい。また、宮沢賢治の弟による解説が巻末にあるらしい(はっきりしない)。
井上ひさしの素晴らしい解説はないが、こちらも大いに気になる。


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# by yamabato_za | 2017-04-28 00:22 | 図書室 | Trackback | Comments(0)

マティスと妻・アメリー

アンリ・マティスがニースのレジナホテルに居た時、妻と別居していたことを、原田マハの『ジヴェルニーの食卓』で知り、驚いた。
30年前、ニースに滞在していた時に借りていたワンルームマンションが、シミエ教会の裏手にあった。
マティス美術館のすぐ近くにあるシミエ教会の墓地には、マティスが奥さんと共に眠っていると聞いていた。二人は仲が良かったんだなあと当然のように思っていた。
それが、別居していたとは。。。なぜなのか??

【マティスによる妻アメリーの肖像】
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図書館で2冊の本を借りてきた。
マティスの切り絵と挿絵の世界』(解説・監修 海野弘)
もっと知りたい マティス-生涯と作品-』(天野知香著)
そして、得られたマティスの家族関係に関わること:

1869年、大晦日、アンリ・マティスは北フランスの穀物商の家に生まれる。
1887年(18才)法律の勉強のためパリへ
1890年(21才)虫垂炎をこじらせ1年間静養中、画家を志すことにする。
1891年(22才)画家を目指し再びパリへ
1894年(25才)カロリーヌ・ジョブローとの間に娘・マルグリットをもうける。
1898年(29才)アメリーと結婚
アメリーは献身的な妻となり、マティスのマネージャー役を果たす。
アメリーとの間に長男・次男をもうける。
1930年代、妻アメリーが、有名になったマティスへの情熱を失い、引きこもり、寝込むようになる。
1933年(64才)病気がちなアメリーの付き添いとしてリディア・デレクトルスカヤが雇われる。
リディアはロシア革命でフランスに亡命し、ニースでアルバイトをしていた。
1938年(69才)ニース郊外シミエのレジナホテルに居を移す。アメリーと別居。
1941年(72才)1月リヨンで腸の手術
1943年(74才)ニース空爆の危険を避け、ヴァンスのル・レーヴ荘へ居を移す。

【ヴァンスのル・レーヴ荘】
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1944年(75才)レジスタンス活動をしていたアメリーが投獄、また、娘・マルグリットは逮捕後収容所送りとなり一時消息不明となるが、パリ解放後、二人とも生還。
1948年~1951年
1941年の手術後、看護婦の代理としてマティスの世話をし、モデルも務めていたモニカ・ブルジョワは、何も言わずにモデルを辞めて、シスター・ジャック・マリーという修道尼になっていたが、彼女を介してヴァンス礼拝堂デザインをすることになる。
妻・アメリーとは絶交状態。この仕事に全精力を注ぐ。
1954年(84才)11月3日ニースにて没

アメリーはマティスに遅れること4年、1958年に亡くなっている。

【孫娘とマティス】
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明るく穏やかな絵の印象から、幸せな家庭を想像していたが、いろいろあったようである。

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画像はすべてアラゴンのマティスについて著作(洋書)より


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# by yamabato_za | 2017-04-14 11:06 | 図書室 | Trackback | Comments(0)

落語「かぼちゃ屋」

楽しみに観ていた『超入門!落語THE MOVIE』があっという間にこの3月で終了。
「短過ぎるぞ!!」と思っていたら、NHK総合からEテレに引っ越しをして(月曜夜11時~11時28分)、ほとんど同じものをこの4月から放送している。
ほとんど同じというのは、ワンポイント江戸知識が番組の最後に付いている点が新しいからである。

Eテレ第1回目の「かぼちゃ屋」が愉快だった。
ぽーっとしている与太郎。
かぼちゃを天秤棒でかついで売って来るように言われる。
呼び声は大きな声で、
表通りより裏通り、
売るときは「上を見て売れ」とやり方を教わった。

与太郎はぽーっとしているけれど、素直なので、天秤棒をかついで歩きながら言われたことを思い出してちゃんとやってみる。(ヨロシイ!)
「かぼちゃあ!かぼちゃあ!」と怒鳴っていると、うるさいと道行く人に言われる。
実際、うるさいのだが、「唐茄子屋でござい!」と調子よく言った方がいいんじゃないかとアドバイスされる。

裏道に入ろうとすると狭い路地で身動きが取れなくなり、住人のひとりが怒って出てくる。
お客様の言うことは素直に聞くことと言われていたのを忘れず思い出して、「どうぞ自分を殴ってください」と言ったのが気に入られて、結局、かぼちゃは完売する。
(売るときにちゃんと「上も見て」、言われたことをすべて実行。エライ!)

与太郎と周りの人とのやり取りが、言葉使いは江戸弁で激しいながらも、のんびり可笑しい。

お芝居をかぶせないオリジナルの高座動画が、番組サイトで観られる。
素の落語だけでも、変わらず面白い。

「かぼちゃ屋」は、“約250年前の笑話集『軽口駒さらゑ』が元と言われる上方落語で、四代目・柳家小さんが東京に持ち込んだとされる。” (番組サイトの説明書きより)
落語は春風亭一之輔、芝居で与太郎を演じたのは加藤諒(ナイス・キャスティング!)。


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# by yamabato_za | 2017-04-07 00:15 | TV | Trackback | Comments(0)