政治家セザール賞

ネットで視聴していたお気に入りのフランスTVニュースバラエティ番組“Le Petit Journal(ル・プティ・ジュルナル)”が昨年秋の番組改編でナビゲーターが代わった。
コメディアンではないかと思われる新しい男性ナビゲーターは嫌いではないものの、前ナビゲーターに馴染んでいたので、あまり観なくなっていたのだが、面白いものを捜して再アクセス&視聴してみたのである。

次の日がセザール賞発表ということで「ル・プティ・ジュルナルのセザール賞」を発表していた。

・政府の報道官であるのにテレビ番組に出演して「何も言うことがない」と言う政治家、、、、、ドゥルドゥルドゥルドゥルドゥルジャン!
ステファン・ルフォル!(現政権の報道官)

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「答えたくありませんね」「言いません」「知りません」「他にコメントすることはありません」とテレビで言っている彼の映像が流れる。

・質問すると「私に話させてください!」と言いながら、その質問に対して答えられないので実際のところは答えたくない政治家、、、、、ドゥルドゥルドゥルドゥルドゥルジャン!
ジルベール・コラール!(マリン・ルペンを党首とする国民戦線に所属する政治家)
「私に答える時間をくださいよ」「私に話させてください」と言っている彼の映像が流れる。

・アンケートでは飛ぶことはない(人気があがることはない)ながら、現実に飛ぼうとする政治家、、、、、ドゥルドゥルドゥルドゥルドゥルジャン!
ジャン・リュック・メランション!(左翼党)

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演説しながら両手を鳥の翼のように拡げてしきりに上下に動かす彼の映像が流れる。(とても笑える)

・政治家である前に男であることを忘れない政治家、、、、、ドゥルドゥルドゥルドゥルドゥルジャン!
アルノー・モンブール!(社会党議員、オランド大統領の政策に不満を示した)
ラジオ番組出演時に誰かに微笑みながらウィンクする彼の映像がムーディなBGMとともに流れる。(とても笑える)

・議員に再当選した時には誰もそのことを知らず、外務大臣だった時には彼について話されることは全くなく、彼が政界から引退すると発表した時には誰も反応しなかった、、、、、ドゥルドゥルドゥルドゥルドゥルジャン!
ジャン・マルク・エイロー!(オランド政権で首相を務めたこともある政治家)
見えない男、完全に透明な政治家!

政治家を面白可笑しく茶かす手腕は以前とすぐるとも劣らない。
政治家たちの中には“Le Petit Journal”をひどく嫌っている人もいるのもうなずけます。


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# by yamabato_za | 2017-02-25 23:16 | サイト | Trackback | Comments(0)

仲見世通って初詣 2017

1月6日、浅草寺へ初詣。
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仲見世らしい正月飾りが青空に映えます。
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割と落ち着いた人出の浅草寺。
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初詣の後、左手に折れると花やしきに出くわしました。
何やら面白そうな乗り物。人が乗った椅子が高い鉄塔を上下します。
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その後、「とらや」の白みそのお雑煮を求めて、そそくさと地下鉄駅に向かいました。
ここ数年、恒例のお気に入りコース。






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# by yamabato_za | 2017-01-12 00:28 | その他 | Trackback | Comments(0)

三方一両損

NHK総合テレビ水曜夜(10時50分~11時15分)に少し前からレギュラー放送されているのが『超入門!落語THE MOVIE』。
落語を噺家の語りだけでなく、それを映像化して、より面白くわかり易くして見せるという番組。
落語自体が娯楽なのに、それをさらに噛み砕かなければいけないとはどうも情けない気もしますけれど、この番組が面白くないわけではありません。
一回の放送で落語を二つ映像とともに見せてくれて実にコンパクトにまとまっています。
案内役に濱田岳を配したのもまったりしていいように思います。
先々回放送された『三方一両損』という落語がとてもよかったのです。

宵越しのお金は持たない、喧嘩好きの江戸っ子二人の騒動を大岡越前が見事に収めます。
映像で登場するのは、財布を落とした江戸っ子吉五郎に鈴木拓、財布を拾って届ける江戸っ子にカンニング竹山。二人とも眼鏡なし。大岡越前に伊吹五郎です。

金太郎:おい、おめえ、この財布に見覚えあんだろ。届けに来てやったんだよ。ほら、受け取れよ。
吉五郎:この野郎、おせっけえな野郎が来やがったなあ、畜生。こっちは、銭落としてさっぱりしたなあ、と思うから、おめえ、これから一ぺえやろうと言うんじゃねえか。いいよ、それはおめえにくれてやるから持ってけ!
金太郎:よせよ、おい、これはおめえんだろ。
吉五郎:俺んじゃないよ。俺の懐から飛び出した銭はもう俺には縁のない金だ。拾ったおめえのもんだ。いいから持ってけ!
金太郎:何言ってんだ!この野郎!いらねえよ、こんなものは!
吉五郎:なんだ、この野郎!ぐずぐずしてると、てめえ、はりたおすぞ!この野郎!
・・・
金太郎:覚えとけ!この野郎!
吉五郎:忘れるもんか!この野郎!矢でも鉄砲でも持ってきやがれってんだ!
金太郎:何ぬかしやがるんだ!この野郎!てめえなんぞに矢や鉄砲なんぞいるかい!げんこ一つで充分だい!
吉五郎:なにを!この野郎!
金太郎:なんだ!この野郎!

まさに江戸っ子の言い合いがもの凄い早口で繰り広げられます。
文末にいちいち「この野郎!」がつく。(ビートたけし!)
吉五郎の「銭落としてさっぱりしたから一杯やって楽しむ」「一度俺の懐から飛び出した銭は俺には縁のない金だ」という言い分が、実に潔くて気持ちいい!!

現代ではとても聞かれない言い分は金太郎からも。
越前の守の前での言:
こちとら江戸っ子だい!拾った銭、懐に入れるようなそんな料簡がありゃあ、今頃ねえ、棟梁とか頭と呼ばれて人の上に立ってますよ。あっしは人間の餓鬼と生まれてねえ、生涯出世するという災難に遭いたくねえ、人の頭になりたくねえ、と思うから、あっしはねえ、毎朝、大神宮様に御燈明上げて手を合わせて拝んでいるんじゃありませんか、畜生(泣き出す)

そして、大岡越前の守の御裁きが見事で唸ってしまいました。

大岡越前は財布にあった三両を預かり置くことにした上で、二人の気質を真の東男(あずまおとこ)だと認め、各人に二両ずつ褒美として渡すのです。
越前の守が預かった三両に一両加えて四両にして二人に与えるので、越前の守が一両損、吉五郎も届けられた金を素直に受け取れば三両のところ二両となったので一両損、金太郎もいらないと言われた金を素直に受け取れば三両のところを二両なので一両損ということで三方一両損という訳です。

いいお話です。
(この落語のムービーなしの高座映像は番組サイトで観られます。)


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# by yamabato_za | 2016-12-10 23:47 | TV | Trackback | Comments(0)

志賀直哉

志賀直哉がマイブーム中。
志賀直哉の高弟であったという阿川弘之の座談集『文士の好物』の中に、井上ひさし&小森陽一と志賀直哉について語ったものを見つけた。これが非常に興味深かった。
阿川弘之の語る志賀直哉も面白いのだが、井上ひさしの見解が新鮮で鋭いように思われて驚いた。

小森氏が初期作品の『剃刀』が怖いと語り、志賀直哉の気質についての話になる。
「自分の神経を逆撫でするものは即ち悪という図式が、少年時代にすでに出来上がっていた(阿川弘之著『志賀直哉』)」といい、父親の家にいた神経が鈍いお抱え車夫のことを「単なる馬鹿ではなくて悪だ」と言い放ったり、「小さいくせにこんなに不愉快な思いをさせられる」と蚤のことを極端に嫌っていたという。

井上ひさしが随筆のような作品『家守(やもり)』を取り上げる。
自分の部屋に入って来たヤモリを半殺しにして外に放ったが死なずにどこかに行ってしまい、逆に自分が心理的に追い詰められるという内容で、小森いわく非常に怖い。狂気直前という。
井上ひさし:
『家守』や『剃刀』のことでいえば、日本人文学者の誰かがここまで行く必要があったんですね。・・・
日本文学全体の豊かさということを考えますと、誰かがここを書き、別の誰かがあそこを書くということが大事です。ふつうの市民が表現できにくいことを文学者が作品にする。それが素晴らしかった場合、そこに描かれた世界や心理が、読者である普通の市民にわかりやすい形で普遍化されて示され、それらは市民の財産になる。
そういう次第で、たまたま『家守』を読んで志賀直哉のすごさを見直しました。文学者が、持ち場持ち場で、自分の神経や感覚を研ぎ澄ませて書く。その感覚を、狂気の一歩手前まで研ぎ澄ませる文学者が必要です。そうなればその作品をモデルにして誰もが考えられる。それが、日本人の市民意識となり財産にもなる。そういう財産をつくる時代でもあったのでしょうね。もっとも今でも文学者はそれをやらなければならないと思いますが、とにかく『剃刀』『家守』はそんな作品です。

阿川弘之:
しかし、ああいう(『剃刀』や『家守』に表されたような)異常神経のようなものは自分で次第にいやになるのです。具体的には、東洋の古美術の持つ静寂さにしたしむようになってから。それからもう一つ、私どもが無形文化財と称していた名夫人、康子(さだこ)さんと結婚して家庭を持ってから。

志賀直哉夫人・康子さんについて、新潮文庫『暗夜行路』(平成元年七月)に阿川弘之が寄せた『志賀直哉の生活と芸術』には次のように記されている。
“志賀直哉夫人の康子は、勘解由小路資承(かでのこうぢすけこと)といふ公家の娘で、武者小路実篤の従妹にあたる。癇癪持ちの夫によく仕へ、よく尽し、のべつがみがみ言はれながら陰鬱なところは少しも無く、明るく気品があつて、六人の子供(ほかに二人夭折)をのびやかに育て、直哉の家庭を知る文学者たちの間で、「無形文化財」とか「日本三名夫人の一人」とか言はれてゐた。夫人の面影を伝へる作品は、結婚の事情がうかがへるものとして「くもり日」、新婚後間もなくの山での生活を描いた「焚き火」、ユーモラスなもので「転生」、その他「山科の記憶」「痴情」「朝昼晩」「予定日」「夫婦」等々数が多い。”

←『剃刀』収録

(追記:『家守』は『小品五つ』の中の一つで、『小品五つ』は岩波書店「志賀直哉全集 第2巻」に収められている。『剃刀』も『家守』も個人的にはあまり好みではなかった。)

志賀直哉の書く要領について、「その場面が見えるように描写することができるかどうか」であり、目で見たものを書く表現法であるのだが、志賀先生は少し見え過ぎるのだと阿川が言う。

井上ひさし:
それにしても志賀直哉の文章は無技巧の技巧でできていますね。なんの変哲もない言葉を使っているようで、じつはそれしかないという言葉で、目に見えるように書く天才・・・。
阿川弘之:
目に見えるように書く天才、というより目に見えちゃうんですね。
井上ひさし:
しかも、言葉がそれぞれ過剰な意味を持っていない。
阿川弘之:
それから、語彙は少ないと思いますよ。・・・
・・・
井上ひさし:
志賀直哉の場合は、言葉の意味が余計なところにいかないんですね。それは見事です。言葉に妙な意味を込めないで、すーっと真っ直ぐに対象に向かう。だから、彼の見たものが、読者の目の前にもさっと浮かんでくる。これは大変な力業ですね。

以下、井上ひさし『暗夜行路』について語る(長く引用。・・・部分は略):
・・・読み返すたびに、読後感はよくなっていきます。若いころは、「登場人物たちはなぜこうも揃いに揃ってひまなんだろう」と反感を抱いていた。・・・ところが四十をすぎたあたりから、がらりと印象が変わりました。
「よかった」「嫌だった」「愉快だった」「不愉快だった」「重い気分」・・・といった表現が続出するのですから、これは疑いもなく自分の感情だけを尊しとするエゴイストが主人公の作品ですね。ところがこのエゴイズムを貫くと、ついに主人公はそのエゴイズムを乗り越えてしまう。その力業にも目を見張るようになりました。
・・・
・・・主人公の力業は、つまりは作者の力業。「人生は困難なものだ」は、人生最大の真理ですが、この困難に正対して苦しみもがきながらそれを乗り越えて行き、ついには調和的な人格を得る。革命運動に身を投ずるか、さもなきゃ家庭破壊的行動をするかしないと人を感動させる作品は出来ないとよく言われてきましたが、志賀直哉という作家は、なるほど、模範的人格を獲得する苦しみを写実することで人の心を動かす第三の型を完成したのだなと、読み返すたびに痛感します。
・・・
『暗夜行路』には、人間という存在のさまざまな感情が描かれている。やはり、日本の文学者の誰かがこれをやらなければならなかった。理屈や抽象的なことがらをまったく排除してとにかく「こういうことは自分には嫌だった」「これは愉快だ」「これは快い」というふうに人間感情を総ざらえして、それから乗り越える行路を暗示したわけです。
『剃刀』や『家守』は、「人間の神経を研ぎ澄ます」という意味で誰かがやらなくてはならないことだったし、『暗夜行路』は、「人間の感情から描く」こと、いわば感情の総点検でした。
・・・
志賀直哉の憲法は、感情なんですね。・・・人間はみんな感情で振り回されている。その感情で幸せにもなれば、不幸にもなる。ところがここにそういうことをこのように書いてくれた志賀直哉という人がいる。だから人間はそれを乗り越えていくことができるかもしれない。そういう意味で、やはりこれは誰かが書かなければいけなかった小説ですし、この時期に志賀さんが書いてくれたのがよかった。
・・・
小説の基本は、理屈でも抽象的なことでもない。登場人物たちの感情をどういうふうに表現していくか。そして、それを登場人物たちがどう処理して生きていくのか。小説の基本は、実はここにあるということが『暗夜行路』ではっきりしだしたから多くの文学者たちによる志賀直哉再評価があったのだろうと思うのですが。そういう意味でも読めば読むほど、歳をとればとるほどおもしろくなっていく小説ですね。


ふと、松岡正剛氏のサイト「千夜千冊」のことが頭に浮かび、『暗夜行路』を検索すると、第1236夜にて取上げられていたものの、松岡氏は『暗夜行路』は謎だと言い、登場人物に感情移入できなかったそうである。
マイブームに少し水が差されてしまった。。。

最後に、阿川弘之『鮨そのほか』に収録されている『暗夜行路解説』(岩波書店『志賀直哉全集第四巻 暗夜行路』平成十一年三月)からひとつ長く引用:
主人公の年齢と、年齢に不釣合な老成した風貌の食ひちがひは、長くかかり過ぎた為生じたと推定されること、既述の通りだが、「暗夜行路」には、その他にも幾つか矛盾点があつて、これ亦著者の、「殿様将棋」風な執筆ぶりが原因をなしてゐる。曾て私は、此の長編をモザイクの名品に喩へたことがある。一つ一つを手に取って眺めると、極めてリアリスティックで美しく堅固な細片が、上下左右のつながりなぞお構ひなく、かなりちぐはぐに嵌め込んである感じで、時代の推移に沿うた一つの物語として見ようとすると論理的な破綻が生じる、それでゐて、不思議に全体の統一は保たれてをり、読む者に支離滅裂な印象を与へたりはしない、各細片があまりに美しくリアリスティックなせゐかも知れない、さういふ意味であった。

また、『暗夜行路』の主人公・時任謙作の名前についての興味深い記述があったので、それもメモしておこう。
阿川弘之が志賀直哉にその名前の由来を尋ねると、学習院の先輩に時任という人がいて、それを思い出して付けたと話したという。
志賀直哉没後20年近くたって阿川は偶然にもその実在した上級生の時任のことを突き止める。
それは時任静二・静三兄弟で、父親は明治初年の北海道県令時任為基(ためもと)。後年、時任牧場を開き、時任町の名前を残しているという。
兄の静二は時任牧場を継ぎ、内村鑑三と親しかった。弟の静三は東京の芝白金三光町で何不自由なく暮らしていたが、初老になって千葉県茂原へ隠棲、仏道修業の後、住職となったという。
それはそれとして、結局のところ、時任謙作という名前は、物語のメインテーマに合っていたからという、もとからあった説と同様な推察に阿川もたどり着いている。


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# by yamabato_za | 2016-12-03 16:21 | 図書室 | Trackback | Comments(0)

志賀直哉『暗夜行路』

志賀直哉の短編集『小僧の神様』が良かったのと小津安二郎が『暗夜行路』に感銘を受けたと日記に書いていたらしいことを知り、昔一度は読んだ覚えがある『暗夜行路』を読むことにした。
志賀直哉唯一の長編で完成までに二十数年かかったと言う。
(連載開始から完結するまで16年、前身の『時任謙作』から数えると25~6年。)
志賀直哉自信がモデルと思われる時任謙作の壮年期数年間のお話である。

自分の父親が祖父であるという出自。そんな暗い出自を持つ自分の運命に悩み、東京を離れるまでが前編。(志賀直哉は父と仲たがいした後、和解しているが、出自に関しては想像の産物で自分がモデルではない。)
後編は、舞台が京都に移り、謙作は東京で送っていたような遊蕩生活から脱却。結婚し、赤ん坊も生まれる。

しかし、彼の留守中に妻の直子がいとこと過ちを犯してしまう。
謙作は、自分持つ嫌な出自故に、その過ちに囚われると悪い方向にどんどん行ってしまうと考え、直子を赦そうと心に決める。

その後のある日に起こった出来事は衝撃的だ。
皆で宝塚へ行こうという日。
駅のトイレで赤ん坊のおむつを替えていて遅れてやって来た直子が、走り出した列車に飛び乗ろうと列車の踏み台に片足をかけたところを、先の乗っていた謙作は、彼女の胸を突いて列車から振り落としたのだ。
全くびっくりした。夏目漱石の『こころ』で主人公の友人が自殺してしまうのと同じくらいの衝撃。
幸い直子に大きな怪我は無く脳振とうぐらいで済んだのだが、心に受けたショックは計り知れない。

謙作は、自分の行為を純粋にその時のイライラから来た発作だと断言する。
そう言われても、直子にしてみれば、自分の過ちを心の底では根に持っていて、それ故の行為と考えるのが当然である。
直子はこう応える。
「貴方が私の悪かった事を赦していると仰有りながら実は少しも赦していらっしゃらないのが、つらいの。発作、発作って、私が気が利かないだけで、ああいう事をなさるとはどうしても私、信じられない。・・・貴方は貴方が御自分でよく仰有るように私を憎む事でなお不幸になるのは馬鹿馬鹿しいと考えて、赦していらっしゃるんだと思う。その方が得だというお心持で赦そうとしていらっしゃるんじゃないかと思われるの。・・・今度のような事があると、やはり、貴方は憎んでいらっしゃるんだ、直ぐそう私には思えて来るの。そしてもしそうとすればこれから先、何時本統に赦して頂ける事か、まるで望みがないように思えるの」
この後、謙作は鳥取の大山へ旅立ち、二人はしばらく別居生活を送ることになる。

『暗夜行路』の最後は感動的。
下痢をした後に夜登山をした謙作は、途中、苦しくなりひとり引き返すことにする。
自然の中に身を置き夜明けを待つ謙作は、ある幸福感を味わう。
“疲れ切ってはいるが、それが不思議な陶酔感となって彼に感ぜられた。彼は自分の精神も肉体も、今、この大きな自然の中に溶込んで行くのを感じた。その自然というのは芥子粒ほどに小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のような眼に感ぜられないものであるが、その中に溶けて行く、―それに還元される感じが言葉に表現出来ないほどの快さであった。何の不安もなく、睡い時、睡(ねむり)に落ちて行く感じにも多少似ていた。・・・彼にはそれに抵抗しようとする気持ちは全くなかった、そしてなるがままに溶込んで行く快感だけが、何の不安もなく感ぜられるのであった。”

そして、世話になっている寺にもどると、熱を出し床に伏せってしまう。
医者の診断は腸カタルで命に別条は無いというが、どうも容態がよくない。
京都から直子が駆けつけ、横になった謙作と対面する。
“謙作は黙って、直子の顔を、眼で撫でまわすようにただ視ている。それは直子には、いまだかつて何人にも見た事のない、柔かな、愛情に満ちた眼差に思われた。
「もう大丈夫よ」直子はこういおうとしたが、それが如何にも空々しく響きそうな気がして止めたほど、謙作の様子は静かで平和なものに見えた。・・・謙作はなお、直子の顔をしきりに眺めていたが、暫くすると、
「私は今、実にいい気持なのだよ」といった。”


心臓が弱っているらしい謙作が助かるのか駄目なのかはわからないまま、この長編は終わるが、直子が感じたのと同じように、ここで謙作が逝ってしまったとしても、それでよし、と思われる。謙作も直子も幸福感に包まれたラストである。

志賀直哉は『続創作余談』で次のように書いているという。
『暗夜行路』は、出生から来る一種の運命悲劇で、その運命をできるだけ賢く、意志的に抜け出そうと努力する事が筋といっていいもので、やはり(メーテルリンクの)『知恵と運命』の影響は受けているものだ。運命的に来る不幸は賢愚によらず来るもので、いかんともしがたいが、それをできるだけ賢く切り抜けたいというのが『暗夜行路』のテーマになっている。



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# by yamabato_za | 2016-11-24 15:54 | 図書室 | Trackback | Comments(0)