ゴフスタインの絵本

ゴフスタインの絵本は以前から知っていたが、あまり好きでないと思っていた。
ところが、少し前にゴフスタインの『ねむたいひとたち』をお店でちらと見てから、急に気になり出し、
図書館にあるものを片っ端から借りてきて、今、突然のマイブーム中。


驚いたことに、ゴフスタインは女性である。
作者名がいつもM.B.ゴフスタインとなっていて(意図的か?)、ファーストネームが明らかでないので、勝手に男性と思い込んでいた。
(ちなみに、M.B.のMの部分はマルゴ、Bの部分はブル-クらしい。)
2007年11月の『別冊太陽-海外の絵本作家たち』に紹介されているゴフスタインのプロフィールによると、1940年アメリカ合衆国ミネソタ州セントポール生まれ。1989年以降は絵本の発表はしていないとある。

この『別冊太陽』で紹介されている絵本作家は6名でゴフスタイン以外は全員男性。
そして、男性女性の違いだけでなく、他の5人の絵本作家とゴフスタインとの際立った違いは、その仕事部屋の様子である。
ゴフスタインの仕事部屋の何と簡素でスッキリと何もなく白いこと!まったく驚くばかり。
一方、次ページに現れるゴフスタインのリラックスして微笑んだ姿には、年輪を重ねたやわらかさが感じられる。
絵本にあった若い頃のプロフィール写真とは大違い。

彼女のバイオグラフィーは以下:(同誌参照、日本で出版された絵本についてのみ記す)
1966年"Sleepy People"『ねむたいひとたち』
1967年"Brookie and Her Lamb"『ブルッキーのひつじ』
1969年"Goldie the Dollmaker"『ゴールディーのお人形

1970年"Two Piano Tuners"『ピアノ調律師

1972年"A Little Schubert"『リトル・シューベルト』
1974年"Me and My Captain"『私の船長さん』

1976年"Fish for Supper"『おばあちゃんの魚つり』
1976年"My Crazy sister"『妹はクレージー』
1978年"My Noah's Ark"『おばあちゃんのはこぶね』(『私のノアの箱舟』)

1979年"Natural Histoy"『生きとし生けるもの』
1979年"Neighbors"『おとなりさん』
1980年"An Artist"『画家』
1984年"A Writer"『作家』
1986年"Your Lone Journey"『あなたのひとり旅』
1986年"Our Snowman"『ふたりの雪だるま』

1987年"Artists' Helpers Enjoy the Evenings"

『ゴールディーのお人形』では主人公の女の子ゴールディーが両親を亡くしている。
『ピアノ調律師』の主人公の女の子も両親を亡くしておじいさんに育てられている。
この2冊(絵本というより絵入り物語)から、ゴフスタイン自身が両親を幼い頃に亡くしているのではないかと勘ぐりたくなる。
(ゴフスタインについてのウィキペディアがないのもちょっと不思議な感じがする。ちなみに、ゴフスタインの夫は音楽家(ピアニスト?)で、『リトル・シューベルト』には夫のピアノ演奏によるシューベルトの曲が入ったソノシートが付いていて、この絵本は夫の家の人たちに捧げられている。)

『ゴールディーのお人形』はお話はとてもいいのだけれども、絵が少なくクスッと笑ってしまうような顔がないのが残念。。。
また、邦訳の句読点が、丸のところが点になっていたり、じゃあ点で統一すればいいのに点がなかったりとバラバラなところも気になる。

マイベストワンは、人生を感じさせる『おばあちゃんのはこぶね』か、姉妹の生活ぶりが愉快な『妹はクレージー』か。
どちらも笑ってしまう絵がいっぱい。
『私の船長さん』『おばあちゃんの魚つり』『おとなりさん』がそれに続いて横並び。

詩のようなテキストだけれども、絵がたまらなく愛おしいのが『画家』と『作家』。
前者は線画に水彩で彩色、後者は輪郭線のないカラー水彩で描かれている。

『あなたのひとり旅』、『ふたりの雪だるま』と"Artists' Helpers Enjoy the Evenings"(邦訳なし)はパステルで描かれたカラー絵本。
それまでの線画スタイルとはまったく異なりながら、このスタイルもいい!
日本では出版されていない線画の絵本もまだあり、写真による絵本もあります。


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# by yamabato_za | 2017-11-14 18:47 | 図書室 | Trackback | Comments(0)

地の響

本棚に眠ったままずーっと手に取っていない本を読んでみることを時々行っていますが、ずーっと聴いていないCDを一枚、ふと手に取って聴いてみました。
芸能山城組の『地の響』。
首都圏の学生を中心に構成された芸能集団・芸能山城組によるブルガリア女性合唱(ブルガリアン・ポリフォニー)とロシア民謡混成合唱が収録されています。
このCDが出たのは1988年のようですが、その前の1976年にLPで出ています(収録曲と曲数がLPとCDでは違うかもしれません)。
アルバムジャケットは、イラスト滝野晴夫、デザイン田中一光。
解説は中村とうよう、小泉文夫。
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収録曲は以下:
1)★陽は沈む(ブルガリア女性合唱)
2)花束によせて(ブルガリア女性合唱)
3)★お前は何の花(ブルガリア女性合唱)
4)モリナリ、想いはままならず(ブルガリア女性合唱)
5)ラーダよ(ブルガリア女性合唱)
6)★そそり立つ岩(グルジア民謡)
7)★ハッサンベックの歌(グルジア民謡)
8)★スリコ(グルジア民謡)
9)★わたしの亜麻畑(ロシア民謡)
10)★今年起こったこと(ロシア民謡)
11)★果てもなき荒野原(ロシア民謡)
12)かめさんとはりねずみ(ブルガリア女性合唱)
13)★夕暮れのヤナ(ブルガリア女性合唱)
14)都からきたシタヤン(ブルガリア女性合唱)
15)小鳥のたより(ブルガリア女性合唱)
16)★カライ・モーメ(ブルガリア女性合唱)
17)★踊り上手なペトルンコ(ブルガリア女性合唱)
18)★トドラは夢見る(ブルガリア女性合唱)

ブルガリア女声合唱の中で、今回、一番気に入ったのは『ラーダよ』です。
女声合唱がピアノからフォルテへと波打って繰り返されます。
その“小さく”から“強く”への波打ちがとても気持ち良い。

収録18曲の中で一番、群を抜いて好きなのは、ロシア民謡『わたしの亜麻畑』です。
女性ソロを、女声合唱と低音の男声合唱がバックで支えます。
これを聴いていると、世の中に「女がいて、男がいて、両方いて良かった」としみじみと思えます。
清らかで素直な女性ソロの歌声は、思わず微笑んでしまうほど素敵です。
そして、それを静かに、しっかりと支える男声合唱は頼もしい。
こんな低い声は、男性でないと出せません。
「男たちよ、居てくれてありがとう!」と感謝の言葉を投げたくなります。
そして、男性低音のハミングが何とも言えずいいのです。

この曲に続く、やはりロシア民謡の『今年起こったこと』もお勧めの一曲です。
こちらの混声合唱は、はじめにソロで歌い、合唱になり、それが何回か繰り返されます。
ソロの人は毎回代わり、各人の歌声がどれも違って個性的。
色々な声があって、色々な人がいるから楽しいと思えます。
現在、18曲入りのこのバージョンのCDはないようですが、


1994年に出た12曲入りの『地の響 芸能山城組 東ヨーロッパを歌う』は、まだ手に入るようです。
上記曲目リストで星印の付いたものがその12曲です。

『ラーダよ』はありませんが、『わたしの亜麻畑』と『今年起こったこと』は入っています。

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# by yamabato_za | 2017-11-03 18:49 | 図書室 | Trackback | Comments(0)

リアルシトロン2017

えほんと雑貨のウェブショップ「シトロンブックス」のリアルショップが今年も阿佐ヶ谷のCONTEX-Sでオープン中です。
10月26日から31日まで。時間は11:00~18:00(28日は15:30で閉店)。
絵本、カード、ブックカバー、レターセットなどなどが並んでいます。
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高橋和枝さんの絵本「あめのひのくまちゃん」
絵本の右横にあるのは、表紙のくまちゃんがパッケージになった森永キャラメル
なぜに?
リアルシトロンの店主溝口さんにお聞きするのを忘れました。。。
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安西水丸さんの絵本「がたんごとん がたんごとん」「ピッキーとポッキー」もありますね。
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雑誌『TRANSIT』2017年9月発売のアイスランド特集号
店主の溝口さんは、つい数日前に1週間のアイスランド旅行から帰ってきたところだそうです。
オーロラや虹がバンバン見えたんだとか。
食事もどれも美味しくて、とてもいいところだったそうです。
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フジモトマサルさんの「長めのいい部屋」が見えます。
他にもいろいろ。。。
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右下の水色の小さい本はゴフスタイン「ねむたいひとたち」
左下、2番目の本は和田誠さんのイラストが表紙になっている「冬の本」
84人の冬にまつわるエッセーを集めたものだそう。
又吉直樹の「なにもない冬」と題された文章があるらしい。
どんなことが書いてあるのか気になります。
ニース滞在時の日記をもとに私が作った小冊子は「なにもない青空」でした。。。
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「不思議の国のアリス」が3ヴァージョン、訳者も装画もそれぞれ違う3冊。
左下のものは、装画トーベ・ヤンソン。
その隣のバージョンは、リスベート・ツヴェルガーという人の絵で、
その上の小さめの本では、佐々木マキが描いています。

週末のお天気が気になりますが、お散歩がてらにどうぞ。

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# by yamabato_za | 2017-10-26 22:40 | インフォメーション | Trackback | Comments(0)

河童のタクアンかじり歩き

図書館の書庫から借りてきた妹尾河童の本の中から2冊目。
週刊朝日に連載されたタクアンにこだわった(or かこつけた)ルポルタージュをまとめたもの。
単行本は1983年4月『タクアンかじり歩き』として刊行。
朝日文庫版『河童のタクアンかじり歩き』は1986年8月刊行。

目次:
*安眠できない沢庵和尚(東京・品川、東海寺)
*刑務所の二十五グラム(北海道・網走刑務所)
*コンコ信仰と観光(高野山)
*コック長、洋上の奮闘(高知港)
*魚が住まぬ澄みきった水(宮崎県・土呂久)
*マタギの里は豪雪地帯(岩手県・沢内村)
*イロリは見えねど『いぶりガッコ』(秋田県・角館)
*今様に伝統を破ったり守ったり(名古屋・渥美半島)
*やっぱりウチのが日本一(東京・練馬区)
*時代が変われば大根も変わる(東京・練馬農協)
*塩はショッパイだけじゃない(伊豆大島・間伏)
*腎臓の賢さに脱帽!(東京・済生会中央病院)
*手塩にかけた“社長の道楽”(ホリプロダクション)
*雪の山陰に“故郷”をみた(鳥取県・佐治村、板井原)
*海外タクアン事情
*『山川漬け』から逆もどり(鹿児島県・山川)


どれも興味深い内容だが、
鳥取県・佐治村のタクアンを取材した「雪の山陰に“故郷”をみた」は圧巻のルポ。
河童さんが佐治タクアンを取材することにしたのは、
当時、各地で姿を消しかけていたタクアンを、佐治村では新たな特産品として売り出していたからである。
手漉き和紙という地場産業を持っている佐治村であるが、
米減反の代替作物として大根を作り、タクアンに加工して売り出すという案が出て、
研修・失敗・研究の末やっと売れる『佐治タクアン』ができたと言う。
近くの智頭地区の板井原には、昔からあるタクアンがあると聞き、足を延ばすが、
林業の衰退による過疎と地大根の消滅を知る。
ここでも減反政策による代替作物に迫られ、リンドウの栽培にたどり着いていた。
さらに、都会の若者による故郷作り「サクランボ・ユートピア」が試されたのがこの地であることを知り、その顛末へと話は続いて行く。
30年以上前のルポであるので、
現状は変わっている可能性大である(佐治タクアンは現時点ではなくなってしまっているようである)が、勉強になる。

←文春文庫版(朝日文庫版より新しい)もあるらしい

読んでいると、海外タクアン事情に出てくる岩城宏之と同じように、
たとえ好物でなくても、タクアンを食べたくなる。
そして、タクアンが愛おしく思われる。
そうそう、少し前にテレビで「海外でタクアンがサラダのトッピングとして人気!」
と言っていたような気がするが、本当だろうか?


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# by yamabato_za | 2017-10-24 23:33 | 図書室 | Trackback | Comments(0)

妹尾河童の本

本棚にずーっと眠っていて、背の題字も色褪せて読めなくなっていた、妹尾河童の『河童が覗いたヨーロッパ』を手に取ってみた。
ページをぱらぱらと繰って拾い読みし、あるページの記述に心が軽くなったような気がしたので、図書館から他の著書を4冊(すべて書庫に収蔵されていた)、借りてきたのである。

その中の1冊『河童のスケッチブック』。

サンデー毎日に連載した同名のエッセーをまとめたもの。
イラストと手書き説明文からなるスケッチブックページと活字によるエッセーページが見開きでペアになっている。(そうなってないところもあり)
題材はいろいろ。
以下、「ヘーッ、知らなかった!」ことをメモ:

●卵葬
卵好きな大空真弓さんは河童さんに自分のお葬式を卵葬にしてほしいと、その祭壇デザインを頼んだ。
献花の代わりに卵を祭壇に供えてもらいたい。
その卵は、帰りに清めの塩とともに会葬者に渡し、その塩で食べてもらう。
遺影は赤ん坊の時の写真で、額縁は卵の殻を並べて作ってほしいのだと言う。
河童さんはその依頼を引き受けた。

●鳴かなくなった砂
かつては世界中のあちこちで砂浜を歩くと、砂が音を出していたが、そんな砂浜がだんだん少なくなっている。
日本でも能登半島の「泣き浜」や牡鹿半島の「鳴浜」で音がしなくなっている。
かろうじて丹後半島の「琴引浜」、島根の「琴ケ浜」、宮城県気仙沼の「十八鳴浜」の三カ所だけは鳴く。
砂浜が油や塵で汚れたことが原因。

●左か、右か?
中国の思想が日本に入って来てから、右の方が左より優位に立っている(例:左前、左遷)が、かつての日本では左の方が優位だった。
左大臣は右大臣より上だった(1885年まで)し、日本神話で最も崇められている天照大神は、イザナミノミコトの左目を洗った時に誕生している。
雛人形も昔は男雛が向かって右側(=殿中の内側から見ると左側)。
昭和初期より逆の並びとなったのは、大正天皇が従来の着席位置を逆に座ってしまったからという説がある。

●モーツァルトのウンコ
モーツァルトが姉や父など親しい人に送った手紙が残っているが、それには「オシッコ、オナラ、下痢、ウンコ、ケツ、クソ」といった下の言葉がおびただしく登場する。
従妹のベーズレへの手紙は特にその度が強く、楽聖モーツァルトの品位を損なうことを危惧して、長らく公開されていなかった。
しかし、実のところモーツァルトが異常に下品だったわけではなく、当時の庶民たちは、親しい者同士で、下の言葉を語呂合わせ的に綴って笑っていたのだと言う。
『モーツァルト書簡全集』が白水社から出ている。

●関東大震災にも無傷で残った?
河童さんはオペラ歌手の藤原義江さんに見い出された。その藤原義江は、昔の帝国ホテルが大好きで自分の家のように住んでいた。
帝国ホテルが建ったのは、関東大震災のあった大正12年。7月から営業していたが、竣工式は9月1日の正午から行われる予定だった。
その予定時刻の2分前に関東大震災が起こる。
河童さんは、藤原さんから「ライトの設計した帝国ホテルは大震災にもビクともしせず無傷のまま建っていた」と聞いていたが、これは設計者であるライトによる神話で、外観は無傷に見えたが、内部はかなり損傷を受けていたというのが本当。
(*しかし、ウィキペディアの「帝国ホテル」のページには、竣工前に帰国したライトの後を引き継いでいた遠藤新が、帝国ホテルが関東大震災によく耐え、わずかの損傷で済んだと書き送り、それを読んだライトは歓喜したとある。)

●日本橋
現在目にすることができる日本橋は、明治44年4月生まれ。花崗岩のルネッサンス様式。
この橋の設計者は妻木頼黄、あ・うんの獅子や麒麟などのブロンズ彫刻は渡辺長男の作品。
*妻木頼黄は国会議事堂建設をめぐって辰野金吾と競い合った人


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# by yamabato_za | 2017-10-12 22:41 | 図書室 | Trackback | Comments(0)