仲見世通って初詣 2018

仲見世の正月飾り2018。
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左手に見えてきた浅草寺の五重塔。
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五重塔と言えば、、、
安藤忠雄が、独りで建築家を目指し不安の日々を送っていた時に、勇気を与えてくれた本だという幸田露伴『五重塔』。
その五重塔は、東京の谷中にあった五重塔がモデルだそうである。
森まゆみ著『明治東京畸人傳』の「露伴が谷中にいた頃-五重塔の話」によると、
その五重塔は、1791年に建てられたもので、谷中のシンボルだったという。
谷中や千駄木に住む人は、上野寛永寺と谷中天王寺と塔が二つ見えるのが自慢だったとか。
しかし、昭和32年7月6日の未明、目白の洋裁店の職人とお針子による放火心中によって焼けてしまった。
地域の人の心の中に生きていたその塔を、朝倉文夫や松下幸之助らが再建しようと努力したが実らず、現在は都所有地なので宗教物は建てるのが難しいため、夢のまた夢らしい。
谷中の五重塔は、「寛永寺、増上寺、浅草寺と並んで江戸四塔の一つといわれた。」の記述を思い出し、シャッターを押す。
今も健在な浅草寺の五重塔は、金色の相輪が輝いていた。

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# by yamabato_za | 2018-01-08 23:35 | その他 | Trackback | Comments(0)

安藤忠雄

安藤忠雄の建築は好きでないと思っていましたので、安藤忠雄展(12月18日終了)に無関心でいました。
ところが、「安藤忠雄のスケッチが巧い。カタログ一冊一冊すべてに自筆のスケッチ入りサインが付いている」と聞いて、俄然、興味が湧き、展覧会自体は疲れそうなのでパスしても、その自筆サインの入ったカタログは是非見たいと思い、国立新美術館へ向かいました。
午後も中盤過ぎで、グッズ売り場レジの行列も落ち着いていました。
お目当ての自筆スケッチサイン入りカタログ。
確かにスケッチにサインの入った紙片がカタログ一冊一冊すべてに挟み込まれています。
おまけにスケッチも光の教会他2~3種あるようです。

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しかし、よくよく見ると、黒サインペンのスケッチ部分はコピーで、その上に、自筆と見られる彩色とサインがされているようです。
そうであっても、凄いエネルギーです。
展覧会サイトには、安藤忠雄自身が会場でフリートークを30分程するスケジュールの掲載があり、その回数も頻繁で驚きました。
光の教会を美術館屋外に1千万かけて再現したとも聞いています。
この展覧会に合わせてテレビにも本人が出ていたのを何回か見ました。
安藤忠雄の熱量の大きさに感嘆します。

彼の作品はやはり今一つ好みでないような思えましたので、自筆サイン入りカタログは止めにして、ささやかながら、光の教会スケッチのある西のマスキングテープ購入。
(マスキングテープは、他に、東にある安藤建築スケッチがプリントされたものと直島プロジェクトの写真がプリントされたものがありました。)


そんな安藤忠雄プチマイブームのさなか、『Milk』という子育て世代のためのファミリー雑誌に、安藤忠雄が寄稿しているのを発見しました。
自分の誕生から建築家になるまでを回想しながら読書の大切さを綴っています。
プチマイブームを後押しする感動的ともいえる一文。その文章によると、
安藤忠雄のお母さんは一人っ子だったので、彼が生まれる前から、安藤家を継ぐために祖父母の養子になることが決められたいた。(安藤忠雄には双子の弟と普通の弟がいる。二人は北山姓。ウィキペディア情報)
子供の頃は、終戦後ということもあり、貧しい生活だったため、本や音楽といった文化とは程遠い環境に過した。
10代の後半に建築の道に進もうと思ったが、自分の学力不足と経済的事情から、大学に進むのは諦め、スケッチしたり、建築空間を体感したり、自分で深く考えたりして学んだ。
そして、他の人に追い付こうと本を必死に読み始めた。
独りで建築家を目指す不安の日々の中で、彼に勇気を与えてくれたのが幸田露伴の『五重塔』だった。
そこに出てくる「のっそり十兵衛」が、建築とは魂で作り上げるものなのだと教えてくれた。
その後も、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』、和辻和郎『古寺巡礼』など優れた文学に出会う。
そして、“即物的で現実的な建築と文学とは根本的に違う世界ですが、文学の世界を通してこそ見えてくる建築の奥行があります。”と言っています。


幸田露伴『五重塔』は、あらすじを読むとなかなか感動的な小説のようです。
映画化もされ、テレビドラマ化もされています。
ついでながら、幸田露伴の娘が幸田文。ウィキペディアによると、幸田文は自身の経験をもとに『流れる』を執筆したとあります。
そうすると、成瀬巳喜男が映画化した『流れる』で田中絹代演ずるお手伝いさんは幸田文がモデルということになります。

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『Milk』上記寄稿とともに掲載されている『安藤忠雄が語る、子どもの感受性をくすぐるオススメの建築10選』は以下:
1、大仙稜古墳(前方後円墳・仁徳天皇陵)
2、パンテオン(128年にハドリアヌス帝がローマに再建した神殿)
3、三十三間堂
4、サヴォア邸(ル・コルビジェ)
5、東大寺
6、国立代々木競技場(丹下健三)
7、ロンシャンの礼拝堂(ル・コルビジェ)
8、厳島神社
9、三佛寺 投入堂
10、香川県庁舎(丹下健三)


(安藤忠雄が寄稿している『Milk』は、港区青山のスパイラル5階にあるお店「call」にありました。)


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# by yamabato_za | 2017-12-22 15:51 | 図書室 | Trackback | Comments(0)

マクロン大統領の弔辞

アカデミー会員作家であるジャン・ドルメソンが先日92歳で亡くなった。
アンヴァリッド広場で送別のセレモニーが催され、マクロン大統領が弔辞を述べた。
ジャン・ドルメソンについて調べると、何回かインターネットでその顔を見ていた人だったが、それ以上はほとんど知らない。
(フランス映画『大統領の料理人』でミッテラン大統領役で出演していました。)


しかし、大統領のその弔辞にはとても心打たれるものがあった。

マクロン大統領は「憂鬱な人々には生きる楽しみを、悲観的な人々には未来への期待を与える明るい人であった」と(ジャン・ドルメソンを)称賛した。

「まず、その明るさがなくなって我々はこれから寂しく思うであろう。いや、もうすでに、この寒い12月の今日、寂しく思う。ジャン・ドルメソンは、我々が渇望し感謝しながら何十年もの間、身体を暖めた長い夏だったのだ。」

マクロン大統領は、また、暗くなりがちなこの時代の中での幸福と軽さを称賛した。
「フランスは複雑な国で、陽気さと幸福の追求と歓喜が、我々の国民的特質を飾っていた時もあるのだが、知らぬ間に、ある日、それが価値のないものととらえられた」と言い、次のように続けた。
「ジャン・ドルメソンは「軽い」は「深い」ではなく、「重い」の反対であることを我々に思い出させてくれる人の一人であった。」

(↓Yahoo!Franceの記事より)
Emmanuel Macron a pris la parole, une allocution durant laquelle le chef de l’Etat a fait l’éloge d’un “être de clarté”, “fait pour donner aux mélancoliques le goût de vivre et aux pessimistes celui de l’avenir”.

“C’est cette clarté qui d’abord nous manquera et qui déjà nous manque en ce jour froid de décembre. Jean d’Ormesson fut ce long été auquel pendant des décennies nous nous sommes chauffés avec gourmandise et gratitude”.

Emmanuel Macron a également fait l’éloge du bonheur et de la légèreté dans une époque portée sur la gravité : “La France est ce pays complexe où la gaieté, la quête du bonheur, l’allégresse, qui furent un temps les atours de notre génie national, furent un jour, on ne sait quand, comme frappés d’indignité”, a encore déclaré Emmanuel Macron, poursuivant : “Jean d’Ormesson était de ceux qui nous rappelaient que la légèreté n’est pas le contraire de la profondeur mais de la lourdeur.”


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# by yamabato_za | 2017-12-15 15:55 | Yahoo!Franceニュース | Trackback | Comments(0)

高峰秀子の『コットンが好き』

高峰秀子は少女の頃から美しいアクセサリーよりも、古い生活道具類に心惹かれて、よく古道具屋に入り浸っていたと言う。
そんな高峰秀子が60歳になり、自分とともに生き続けてくれた身辺の道具小物について綴ったエッセー集が『コットンが好き』である。



語られるその物の写真も何枚か載っていて、高峰秀子のセンスの良さに感心する。
そして、自分というものを持った気持ちのいい人だと思う。
間仕切りがほしいけれど、自分の家に合ったものがない。そんな時に龍村の帯をもらい、それを使って二つ折りの西洋屏風に仕立てることを考えついたり、
入院している人のお見舞いに、お花やメロンではなく、戦争中の慰問袋からヒントを得て、わざとみみっちく手作りした慰問袋に、家にあるあれやこれやを入れて持って行ったり。

一番印象に残ったのは「老舗」と題された香港のダンヒルでの出来事。
1年前に香港のダンヒルで買ったライターの底のビスが取れてしまったので、ビスを入れてもらおうとその店に行くと、そのライターの刻印されたナンバーが読みとれず、偽物かもしれないことがわかる。それに対する店長の対応は感涙するほど素晴らしい。(“”内引用)

“彼は黒いビロード張りの皿の上に二つのライターを並べ、私に椅子をすすめて口を開いた。
「・・(略)・・御存知のように、香港では宝石や時計、そしてライターのにせものを作って、本物より安く売っています。我がダンヒル社には百パーセントそのようなミスはない、と信じますが、あるいは何かの間違いで、いかがわしい品物がまぎれこまない、とは断言できません。そして、そういう品物をお客さまにお売りした、という責任は、もちろんダンヒル社が持つのは当然です。
この新品のライターにはきちんとナンバーが打ってあります。どうぞ、このライターをお使いください」
彼はニッコリとして、金色に輝く新品のライターを私に差し出した。”


高峰秀子は、このことによって、自分が煙草を吸い続ける限り、ダンヒル以外のライターは使わないと思うのだった。

「額」で語られているハガキ大程のモザイクの額とは、以前、私が『芸術新潮』高峰秀子没後1周年特集誌上で見、魅了されたもの。
モザイクですみれとマーガレットで飾られた額には、藤田嗣治がこの額に合わせて描いた高峰秀子と松山善三が収まっていて、素晴らしい全体調和を見せていた。



『コットンが好き』には、その写真が載っていない!
ムクムクとその額が見たくなり、近くの図書館で、都の図書館から『芸術新潮』2011年12月号特集「高峰秀子の旅と本棚」を取り寄せてもらった。(このサービス、ありがたい!!)

(↓)『芸術新潮』2011年12月号より 藤田嗣治が描いた高峰秀子と松山善三
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高峰秀子が亡くなったのは2010年12月28日。もうすぐ命日です。

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# by yamabato_za | 2017-12-12 15:31 | 図書室 | Trackback | Comments(0)

ゴフスタインの絵本

ゴフスタインの絵本は以前から知っていたが、あまり好きでないと思っていた。
ところが、少し前にゴフスタインの『ねむたいひとたち』をお店でちらと見てから、急に気になり出し、
図書館にあるものを片っ端から借りてきて、今、突然のマイブーム中。


驚いたことに、ゴフスタインは女性である。
作者名がいつもM.B.ゴフスタインとなっていて(意図的か?)、ファーストネームが明らかでないので、勝手に男性と思い込んでいた。
(ちなみに、M.B.のMの部分はマルゴ、Bの部分はブル-クらしい。)
2007年11月の『別冊太陽-海外の絵本作家たち』に紹介されているゴフスタインのプロフィールによると、1940年アメリカ合衆国ミネソタ州セントポール生まれ。1989年以降は絵本の発表はしていないとある。

この『別冊太陽』で紹介されている絵本作家は6名でゴフスタイン以外は全員男性。
そして、男性女性の違いだけでなく、他の5人の絵本作家とゴフスタインとの際立った違いは、その仕事部屋の様子である。
ゴフスタインの仕事部屋の何と簡素でスッキリと何もなく白いこと!まったく驚くばかり。
一方、次ページに現れるゴフスタインのリラックスして微笑んだ姿には、年輪を重ねたやわらかさが感じられる。
絵本にあった若い頃のプロフィール写真とは大違い。

彼女のバイオグラフィーは以下:(同誌参照、日本で出版された絵本についてのみ記す)
1966年"Sleepy People"『ねむたいひとたち』
1967年"Brookie and Her Lamb"『ブルッキーのひつじ』
1969年"Goldie the Dollmaker"『ゴールディーのお人形

1970年"Two Piano Tuners"『ピアノ調律師

1972年"A Little Schubert"『リトル・シューベルト』
1974年"Me and My Captain"『私の船長さん』

1976年"Fish for Supper"『おばあちゃんの魚つり』
1976年"My Crazy sister"『妹はクレージー』
1978年"My Noah's Ark"『おばあちゃんのはこぶね』(『私のノアの箱舟』)

1979年"Natural Histoy"『生きとし生けるもの』
1979年"Neighbors"『おとなりさん』
1980年"An Artist"『画家』
1984年"A Writer"『作家』
1986年"Your Lone Journey"『あなたのひとり旅』
1986年"Our Snowman"『ふたりの雪だるま』

1987年"Artists' Helpers Enjoy the Evenings"

『ゴールディーのお人形』では主人公の女の子ゴールディーが両親を亡くしている。
『ピアノ調律師』の主人公の女の子も両親を亡くしておじいさんに育てられている。
この2冊(絵本というより絵入り物語)から、ゴフスタイン自身が両親を幼い頃に亡くしているのではないかと勘ぐりたくなる。
(ゴフスタインについてのウィキペディアがないのもちょっと不思議な感じがする。ちなみに、ゴフスタインの夫は音楽家(ピアニスト?)で、『リトル・シューベルト』には夫のピアノ演奏によるシューベルトの曲が入ったソノシートが付いていて、この絵本は夫の家の人たちに捧げられている。)

『ゴールディーのお人形』はお話はとてもいいのだけれども、絵が少なくクスッと笑ってしまうような顔がないのが残念。。。
また、邦訳の句読点が、丸のところが点になっていたり、じゃあ点で統一すればいいのに点がなかったりとバラバラなところも気になる。

マイベストワンは、人生を感じさせる『おばあちゃんのはこぶね』か、姉妹の生活ぶりが愉快な『妹はクレージー』か。
どちらも笑ってしまう絵がいっぱい。
『私の船長さん』『おばあちゃんの魚つり』『おとなりさん』がそれに続いて横並び。

詩のようなテキストだけれども、絵がたまらなく愛おしいのが『画家』と『作家』。
前者は線画に水彩で彩色、後者は輪郭線のないカラー水彩で描かれている。

『あなたのひとり旅』、『ふたりの雪だるま』と"Artists' Helpers Enjoy the Evenings"(邦訳なし)はパステルで描かれたカラー絵本。
それまでの線画スタイルとはまったく異なりながら、このスタイルもいい!
日本では出版されていない線画の絵本もまだあり、写真による絵本もあります。


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# by yamabato_za | 2017-11-14 18:47 | 図書室 | Trackback | Comments(0)